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愛宕山の寺社

 (画像・寺社名をクリックすると写真集を見ることができます)

愛宕神社

景行天皇2年(72年)に伊耶那岐尊・天忍穂耳尊を祀ったのが鷲尾神社(鷲尾権現)の始まりと伝えられていますが、その頃の日本はまだ弥生時代で、この年代はあくまで伝承。伊耶那美尊・火産霊神を祀る愛宕権現を福岡藩2代藩主の黒田忠之が勘請し、その後、明治34年(1901年)に両社が合併されて鷲尾愛宕神社となった。「日本三大愛宕の一つ」と唱われているが、残りの2つ、京都(総本社)や東京の愛宕神社ではそのような表示は見あたらない。境内からの市内眺望、夜景眺望が評判。

音次郎稲荷神社

男坂、女坂を登りきって合流する場所にある稲荷。朱色の鳥居が目立つ。稲荷はもともとは稲をはじめとした穀物初発の神。江戸時代から音次郎、吉太郎、音吉郎、音平、松下の稲荷御一統が合祀されている。男坂の途中に鳥居のある分かれ道があり、そこが稲荷への参道。境内にある大銀杏の樹は、密かなパワースポットとの言い伝えが。

観音寺

愛宕山の南斜面、桜坂の中程にある真言宗の寺。九州88ヶ所85番札所。本尊は愛宕権現勝軍地蔵大菩薩。十三石仏をはじめ、多数の石仏が並んでいる。かつて散在していた石仏が、伴仲スミヨ氏の努力により集められたもの。千手観音堂わきから背振山系、姪浜方面が一望できる。

岩窟弁財天社

いわやべんざいてんしゃ。愛宕四丁目公会堂の脇に天然の岩窟蓋があり、弁財天が祭られている。海が埋め立てられる(豊浜)以前は海辺だった。この近辺は1960年代頃までは弁天町という町名であった。筑前國續風土記にも記載され、古くから海の安全の守り神として信仰されてきた。

鍾道神社

愛宕山北側の愛宕山観光道路ヘアピンカーブの内側に祠があった。鍾道神社および大山祇神社。2015年、展望台設置工事に伴いこれらの構築物の一切が撤去され、現在行方不明。「大山祗神社跡公園」という名称(祗は正しくは祇)だけが唯一のなごり。その奥に姪浜炭鉱の創業者である葉室豊吉の顕彰碑があるが、これは整備されて残っている。

地蔵院密寺

明治通りから女坂に入ってすぐのところにある真言宗の寺。良く目立つ大日不動明王の前から入って階段を上がると、日にちを限って願をかける日切地蔵のお堂があり、さらに階段を上がると十一面千手観世音菩薩を祀る本堂がある。

須賀神社

愛宕神社の南南東にある小山(鷲尾山)の頂上に最近まで祠があったが、現在は撤去されて行方不明。岩井屋の脇、もしくは音次郎稲荷の脇から平らな山上部に行ける。北条兼時がここに探題城(姪浜城、鷲尾城)を築いたと言われていたが、現在は探題城は他所にあったというのが定説に。

宗玉神社

東に延びる尾根筋の頂部すぐ下に、ある時期まであったが、現在は個人宅となっていて、存在不明。

鬼形鬼子母神

浪切不動尊

鬼形鬼子母神

女坂の、男坂との合流点から100mほど下った所にある人家の階段を登った所に鬼の姿をした鬼子母神と多宝如来の石仏が見えます。

 また、古い地図では、この付近に浪切不動尊があったことが記されています。しかし、現在はこの二体の像しか見当たりません。

 鬼子母神は子供と安産の守り神。浪切不動尊は、暴風雨にあった弘法大師(空海)の乗った遣唐使船を救ったという伝説から、航海の守り神に。元寇の際にも霊威を示したとされています。ちなみに、浪切不動尊の総本山は高野山南院。

©愛宕の森と緑を守る会

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