愛宕の森と緑を守る会
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愛宕山古墳・城ノ辻石棺
(説明文は画像の後にあります。画像をクリックすると拡大表示され、各説明文が見られます。)
タイトルは「愛宕山古墳」。報告書は福岡市立中央図書館でも閲覧可能。この報告書の1ページ目に開発業者と埋蔵文化財課との間で「移設・復原の保存措置」を合意したことが明記されている。
愛宕山の東に延びる東峰の尾根筋の東端にある小山(城ノ辻)の肩に古墳が造られていた。
石室の入口は右側(南側)にある。奥の白い塀は調査のために囲ったもの。
愛宕山の東に延びる東峰(城ノ辻)の尾根筋に古墳はあった。調査のために設置された白い塀に囲われた土地の中央部のあたり。
古墳跡の現状。右上(1枚前)の遠景写真とほぼ同じ方向より撮ったもの。正面の大型マンションが建っている場所の6〜7階のあたりに古墳は存在した。
愛宕山古墳石室のスケッチ(実測図)。
古墳の位置は右手(東)の大型マンション中央部の6〜7階部分のあたり。マンション敷地は、左手(西)の崖とほぼ同じ高さの尾根筋を20mほど削り取って造成された。
左手山頂部から東に向かう東峰(城ノ辻)の尾根筋に古墳はあった。
現在の地図の上に古墳の位置をマークしてみると....。
現在の航空写真の上に古墳の位置をマークしてみると.....。
郷土史家の西島弘氏がとりまとめた「姪の浜を中心とした郷土史誌」。この中で、愛宕山東峰の石棺と古墳についての調査結果を1977年頃に撮影した写真を添えて記載している。1992年発行。以降の画像は、この本からとったもの。
東峰(城ノ辻)の山頂にあった箱形石棺。1977年西島氏撮影。今回、存在を明示するために「城ノ辻石棺」と命名。西島氏は、この石棺の20m南に古墳があったと記述しているが、地図で見る限り、愛宕山古墳は山頂から10m西。
西島氏が1977-8年に撮影した愛宕山古墳の石室。奥正面。撮影時には古墳は未だ崩れていなかった。
西島氏が1977-8年に撮影した撮影した愛宕山古墳の石室。入口左側の側面。
西島氏が1992-3年に撮影した愛宕山古墳の上蓋巨石。上蓋全体が茶桃色に彩色されている。線刻も絵画もないので、初期の装飾古墳と思われる。
古墳の近くにあった30数体の石仏。1977年頃までは放置されたまま存在していた。これらの石仏群もどうなったか、現在不明。
福岡縣地理全誌(巻之一百三十三、早良郡之部)の表紙。臼井浅夫編 1879年(明治12年)発行。