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筑前愛宕山瓦経

 ちくぜんあたごやまがきょう。 弥勒菩薩があらわれる時まで教典を伝えたいとの願いで粘土板に経典類を彫り込んで焼き、地中に埋めたもの。多くが11世紀後半~12世紀(平安時代末期)に作られている。 この愛宕神社の東南麓で出土した瓦経は他の場所で見つかっている一般的な瓦経と異なり、経文が片面にしか書かれていない。法華経を焼き付けた古瓦が愛宕山で見られたことは貝原益軒の筑前國續風土記にも記されているが、当時は探題城の古瓦と考えられていた(下記参照)
 在野の研究者であった高野孤鹿氏が愛宕山瓦経の存在を信じて1950年代当初より熱心に発掘収集作業にあたり、それを「筑前愛宕山瓦経の研究」(1974)として記録にまとめ、愛宕山瓦経の存在を世に広めた。発掘に積極的に協力したと書かれているM氏夫妻宅は現存している。下記の画像のうち、現在の写真以外の画像は、この本から引用したもの。
 
           (画像をクリックすると拡大表示されます)

筑前國續風土記

貝原益軒 「筑前國續風土記 巻二十八」 九州探題城址

 「浦山の巽に當りて、愛宕の社に近く、南の方に出たる山あり。其上に平地あり。此所則探題の城址なり。正保慶安の比までは、城の古瓦多く殘れり。其瓦に法華經の文字を焼付てありしかば、人悉く取て、今は其瓦なくなりぬ。・ ・ ・」

©愛宕の森と緑を守る会

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