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愛宕の森と緑を守る会

博多八景 - 浦山秋晩

(元福岡市博物館学芸員 林文理氏 講演より)

日本初の「八景」=「博多八景」
「近江八景」や「金沢八景」などは良く知られていますが、実は「博多八景」こそが日本で最初に生み出された「八景」だったということはご存じでしょうか。

 鎌倉時代末期、聖福寺の住持、鉄庵道生(てったんどうしょう,1262-1331)が博多湾周辺の8個所の名所風景を選び、七言絶句の漢詩として詠んで残しました。その「八景」の元は、中国長江中流域にある洞庭湖の南、湖南省長沙一帯に広がる水郷地帯の風光明媚な8つの風景。北宋時代(960-1127)にこの地に赴任した高級官僚の宋迪(そうてき,生没年不詳)が「瀟湘(しょうしょう)八景図」として山水画をえがき、その後、沈括(しんかつ,1031-1095)が随筆集『夢渓筆談・書画』の中でこの画を紹介して「瀟湘八景」の名を後世に伝えたことでした。鉄庵道生は博多湾を洞庭湖になぞらえて「博多八景」を選んだのでしょう。

愛宕山は、鉄庵道生によって選ばれた博多八景のひとつ

 鉄庵道生が漢詩集純鐵集(どんてつしゅう)に収めた八景は、下の地図で示した8ヶ所の風景で、①香椎暮雪(かしいぼせつ)、②筥崎蚕市(はこざきさんし)、③長橋春潮(ながはししゅんちょう)、④荘浜泛月(しょうはまはんげつ)、⑤志賀独釣(しかどくちょう)、⑥浦山秋晩(うらやましゅうばん)、⑦一崎松行(いっさきしょうこう)、⑧野古帰帆(のこきはん)です。このうちの⑥「浦山秋晩」が、古くは鷲尾山とも、浦山とも言われていた愛宕山の秋の夕暮れを詠ったものです。
 

浦山秋晩

三十年前貪勝槩  三十年前、優れた景色(勝槩=勝概:しょうがい)をむさぼり
幾囘飛夢落烟巒  何度か夢に飛び、霞たなびく峰(烟巒:えんらん)に落つ
而今老倒看圖盡   この今(而今)、老いぼれて(老倒)地の果て(図尽)を看る
兩鬢秋吹霜後山  両鬢秋吹く、霜後の山

 晩秋の夕暮れの浦山の様子と、老いた自らの姿を重ねた心情を詠ったのでしょうか。

 愛宕山を「名所」として位置づけた最初の記述と考えられます()

 

 

 

もう一つの「博多八景」

 鉄庵道生の博多八景とは別に、近世に入って、もう一つの「博多八景」が詠われました。1765年(明和2年)、津田元顧・元貫父子による『石城志(せきじょうし)』に載っています。実は、鉄庵道生の博多八景は禅の世界に留まっていて、この新しい博多八景のほうが世に広まったのでした。そこには浦山(愛宕山)は登場せず、代わりに太宰府周辺の山まで広がって選ばれています。
 新しく詠われた八景は、濡衣夜雨(ぬれぎぬやう)、箱崎晴嵐(はこざきせいらん)、分杉(わけすぎ=若杉)秋月(しゅうげつ)、奈多落雁(なたらくがん)、博多帰帆(はかたきはん)、横岳晩鐘(よこたけばんしょう)、竃山暮雪(かまどやまぼせつ)、名島夕照(なしませきしょう)です。

(註)林文理氏講演会“博多八景「浦山秋晩」─ 名所としての愛宕山

 愛宕の森と緑を守る会は、2018年10月20日、元福岡市博物館学芸員の林文理氏を招いて講演会“博多八景「浦山秋晩」─名所としての愛宕山”を開催しました。林氏には「博多八景」と「浦山秋晩」の紹介とともに、「浦山秋晩」が愛宕山を詠った漢詩であること、「名所としての愛宕山」とその後の『筑前國續風土記』などでの取り扱い​などをテーマに、新たな視点を含め、お話しして頂きました。上記内容はその要約です(漢詩現代訳を除く)。

参考文献 : 鉄庵道生「博多八景」詩を読む, 林文理(2014)

博多八景−註

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