愛宕の森と緑を守る会
愛宕索道 「愛宕山ケーブルカー」
鷲尾愛宕神社参拝客のために1928年(昭和3年)、愛宕山の南側の麓、愛宕下から鷲尾愛宕神社の南南東170m、音次郎稲荷神社のある標高60m強の小山(鷲尾山 註1)の頂上まで、全長131mのロープウエーが建設された。ロープウエーなのに「愛宕山ケーブルカー」と称されていた(乗り場に表示されていた正式名称は「アタゴノケーブルカー」)。この違いは、当時はロープウエーも区別なく全てケーブルカーと言われていたため。豪商西山三郎らによって創業された「愛宕索道」が運営した。旅客営業ロープウエーとしては日本で2番目(註2)、九州では初とのことで物珍しさもあり、当時はたいそう賑わったとのことであるが、戦争の足音が大きくなるにつれ、男性従業員が次々と徴兵され、ついには鉄材の供出を強いられる(勅令第835号・金属類回収令、1941年8月)に至り、「不要不急線」として1943年(昭和18年)に姿を消してしまった。今では山上駅のレンガ+コンクリートの遺構が人知れずに木々に埋もれて、その名残を留めているだけとなっている。2017年1月に、守る会の調査でこの遺構(土台)が竹を主とした樹木に埋もれてさらに拡がって存在していることが確認され、守る会はその発掘・整備に取り組み、奥行きで20メートル近く、幅で最大18メートル程度の広さを持つ遺構であることを突き止めた(現在整備進行中だが、マダニを考慮して季節によっては中断する)。貴重な「戦争遺跡」でもあるこのロープウエー山上駅跡を、今後も大切にしていきたい。
註1:「鷲尾山」は本来は「愛宕山」の旧称だが、この小山に鷲尾城があったの
で、ここでは便宜上使用。地元の年配の人はここを鷲尾山と言っている。
註2:日本最古の旅客営業ロープウエーは三重県の「矢ノ川(やのこ)峠旅客
索道」で、1927年(昭和2年)開業。定員2名のゴンドラ8台で1254mを運行。
現存する日本最古のロープウエーは奈良県にある「吉野大峯ケーブル」
で、1929年(昭和4年)に開業し、2012年に機械遺産に登録されている。
2016年、福岡市総合図書館でロープウエー運行時のフィルムが発見され、5月4日のRKB毎日放送の今日感ニュースで放映された。時間は短いが、再処理されて鮮明になっている。このニュース映像は、「80年前の映像発掘「幻のロープウエー」」というタイトルでRKBのサイトで見ることができる。
2017年2月17日、山上駅跡地の2回目の発掘・整備作業に取り組んだ。その様子をRKB毎日放送が取材し、24日の今日感ニュースで紹介された。その映像を見たい方は下のボタンから(会員限定)。
(画像をクリックすると拡大表示されます)
©愛宕の森と緑を守る会
2本の支索で2台が上下していた。ゴンドラから写したと思われる。遠くに北九州鉄道の線路が見えている。
定員8人乗りの小型な箱形ゴンドラ。頂上駅。
看板には「アタゴノケーブルカー」と表示されている。これがロープウエーの正式名称か?
1928年 (昭和3年) 1月24日付福岡日日新聞(現 西日本新聞)に掲載されたロープウエー試運転の記事。麓の駅から写したもの。写真とその説明文だけで文章はない。開通後の記事は、今のところ、有無を調査中。
愛宕下から須賀神社・姪浜城があったといわれる山上までのロープウエーが表示されている。不思議なことに、ロープウエーが廃止された後の1948-1956年の地図にも載っている。
終戦直後(?)に撮られた航空写真(国土地理院)にはロープウエーの跡が明瞭に写っている。ロープウエー直下は樹が切られていたためであろう。
航空写真にロープウエーの位置を書き加えて表示した。
愛宕神社入口前(岩井屋横)にある解説板。「ケーブルカー」は実際はロープウエーだが、当時はすべてケーブルカーと言われていた。
かつてふもとの駅があった場所。現在は明治通りに面した碇整形外科となっている。
岩井屋と「愛宕山ケーブルカー」解説板との間にある階段を上り、山上まで足をのばすと比較的平らなロープウエー駅の跡地に至る。
音次郎稲荷神社の駐車場の脇に山上への登り口(階段)がある。鷲尾愛宕神社側の登り口と比べると、少々急な斜面ではある。
鷲尾城があった山の頂上に最近まで須賀神社の祠があった。この左手(東側)にロープウエー山上駅の遺構がある。
整備前の画像。ロープウエーの下側から山上駅に向かって撮影。
整備前の画像。ロープウエー山上駅の中央部にある階段の跡。この階段の両側に左右対称にコンクリートの壁がある(右の写真)。この階段の両側にゴンドラが入ったと思われる。
整備前の画像。駅中央部の階段から2m程離れてコンクリート製の壁が左右にある。この写真は下から見て右側の壁。左の写真でも、植物に覆われて見えづらいが、左側の壁が写っている。
愛宕の森と緑を守る会は、樹木(主に竹)に覆われていた山頂駅跡の整備作業に取りくみ中(2017年1月〜)。
覆っていた木々を取り除くと、徐々に山上駅の姿が現れてきた。ゴンドラ発着場の奥に、石積みが見える。 さらに右手奥の樹木を除去すれば、山上駅の全貌が現れるのではと期待される。
左右2個所のゴンドラ発着スペースの間にあるコンクリート台の上に、このような構造物の存在も。乗降場の土台だろうか。
2022年3月撮影。発掘後の全景。駅出口・愛宕神社方向から撮ったもの。中央にゴンドラの発着場跡、左手に動力室跡が見える。
ゴンドラが交互に出入りする個所でその外側が乗降用プラットフォーム。中央部が点検用通路で、その先端部にある階段の所だけが露出していた。
ロープウエーを駆動する動力室の跡。床面より一段(65cm)低く、動力機械を固定していたと思われる太いボルトが床面に並んでいる。左手奥には動力源の電柱の土台も残っている。発掘前には土で埋められていて、林に覆われた中にイノシシの巣があった。
ロープウエー山上駅直下にあった支柱台座の跡。斜面の下側から写す。中央を左上から右下に通っているワイヤーは落石防止ネットを固定するために張られているもの。
山上駅跡の直下にある支柱台座跡の脇に通っている排水路跡。
発見されたロープウエー支柱の台座跡。下側からコの字形のコンクリート構造を写す。台座は上の人影の見える所。場所は音次郎稲荷神社の斜め上側、ロープウエーの下から2/3程度に位置する。落石防止ネットで覆われている。
ロープウエー途中にある支柱台座跡から見下ろした音次郎稲荷神社。
竹を伐採後に放置すると、たちまち元の竹林へ戻ってしまいそうな勢いで新たな竹が生えて生長していく。しかし、夏にはマダニが活動的になるので、作業には注意を要する。
「愛宕ケーブルカー」解説板のある場所に、山上駅跡についての解説板と道順の案内看板を設置しました。
守る会は、山上駅跡までの山道の整備作業を進めています。 歩きにくい坂の箇所に階段を作り、歩きやすくしました。
山上駅跡への案内看板を設置しました。
山上駅跡地に説明板を設置しました。
山上駅跡の整備作業を進めていたところ、こんなものが出てきました。ブロンズ製と思われる、馬の像です。
見取図の上側がほぼ北方向。黄色い部分のみが調査前の時点で露出していた。現時点では北東部分の未整備や覆土もあって、不明な部分が残っている。