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愛宕の森と緑を守る会
鷲尾城趾(姪浜城・探題城)
愛宕の森と緑を守る会
音次郎稲荷神社の背後、愛宕神社の南南東約200mの小山の頂上はほぼ平坦な広場になっています。ここには現在行方不明の須賀神社の祠、ならびに「愛宕山ケーブルカー」山上駅があった場所です。そして現在は何も残っていませんが、かつて鷲尾城が築かれていたと考えられている場所でもあります。鷲尾城は姪浜城ともいわれていました。近年までこの城は、元寇の後の1293年(永仁元年)に鎌倉幕府が九州統括を目的として鎮西探題を設置した際に築いた探題城ではないかと考えられ、今でもいくつかの案内書では「探題城」跡として紹介されています。しかし現在は、探題城があったのはこの地ではなく、福岡市中心部、博多区祇園町の方だというのが定説になっています。鷲尾城が鎮西探題とどのような関係にあったかは定かではありませんが、ひょっとしたら出先機関という位置づけだったのかもしれません。ただ、物的証拠を見い出すことが出来ていない今日、伝承からのみで史実を解明・確定することには困難を伴っているのが現状です。
「筑前國續風土記 巻之二 堤要下 ○筑紫探題」より
「・・・。伏見院永仁元年三月、鎌倉執權北條貞時、初て北條兼時を、六波羅より筑紫に下し、鎮西の探題とし、九州二島の政事を司しめ、西國の藩鎮として、異賊襲來の防禦に備ふ。兼時、早良郡姪濱の東鷲尾山の巽の山上に城を築きて住めり。・・・」
(画像をクリックすると拡大し説明文が表示されます)
鷲尾城跡の位置
「探題城趾」と記された位置が鷲尾城趾(姪浜城趾)があったと伝えられている場所。そばに「須賀神社」も表示されている。
鷲尾城趾への入口
階段を上り、樹々の中の道をあがっていくと城趾の広場(さほど広いわけではないが)にたどり着く。
音次郎稲荷脇の登り口
少々急な階段・坂道ではあるが、鷲尾城趾への近道だ。音次郎稲荷神社入り口の脇から登る。
山上の平坦部
この平坦部に鷲尾城が築かれていたと伝えられている。城の遺跡は何も無く、雑草が生い茂っているだけだ。
須賀神社
山上の一番高い場所には、須賀神社の小さな祠があった。いつの頃か知らないが跡形も無く撤去され、今は見ることが出来ない。
山上広場の桜
春になるとソメイヨシノやヤマザクラが満開となって、知る人にとっての絶好のお花見の会場となる。
ロープウエー山上駅跡
山上の南側部分、須賀神社の脇にはかつて賑わった「愛宕山ケーブルカー」の山上駅の遺構が残されている(「愛宕山ケーブルカー」のページ参照)。守る会による整備の前は木々に埋もれて、ほんの一部しか姿を見せていなかった。
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