愛宕の森と緑を守る会
愛宕の森と緑を守る会
愛宕の森探索路
(画像をクリックすれば拡大し、説明があります)
ロープウェー山上駅コース
探索コースのスタート地点。
本殿に向かう石段の曲がり角にある木。神木との説明文が添えられている。「小賀玉の木」あるいは「招霊木」と記され、神事に用いられる(通常はサカキが用いられているが、サカキは実は代用品)。モクレン科では唯一の常緑樹で、ミカドアゲハの食樹。春の初めに基部がえんじ色で芳香のある白い花をつけるが、残念ながら高いところで咲くので、楽しめない。
春にはサクラの見どころになる。正面に見えるのがオガタマノキ。
大崖石榴。常緑つる性木本でイチジクの仲間。神社入り口の広場の端の大木の幹や枝を覆っている。岩を匍っている時は葉の大きさが数ミリと小さく、全く別種に見える。道路の反対側の石垣にはりついているのを見ることが出来ます。
岩井屋の脇に「愛宕山ケーブルカー跡地」の解説板が立っている。ケーブルカーという名がついているが、実はロープウェー。この脇の階段を上がってください。75m先に山上駅跡があります。
案内板の近く、参道の頭上はサギの営巣地で、2月末頃にはアオサギやダイサギが集まってきて、小枝を集めて巣作りを始めます。途切れることのないサギの鳴き声や嘴を鳴らす音は、この季節の愛宕山の風物詩のひとつ。ダイサギ(右)の目元の青色は婚姻色。ふわっと広がる飾り羽も同じく繁殖期に見られるもの。
5〜6月は子育ての季節。餌をねだるのであろうか、仔サギ独特の鳴き声がうるさいほどに響いています。
この広場には、ソメイヨシノ、ヤマザクラ、ツクシヤマザクラが生えています。
ツクシヤマザクラはこの地方の貴重な固有種。近年、愛宕山では樹齢70年程度の常緑広葉樹の成長に伴ってサクラへの日照が不足するようになり、多くのサクラ、とりわけツクシヤマザクラが弱り、瀕死の状態となっています。守る会では日照確保を主とした保全・回復作業に取り組んでいます。このツクシヤマザクラの林は山上広場の西脇にあります。
保全作業で元気を取り戻しつつあるツクシヤマザクラの開花。保全作業翌春の開花時に撮影。
ツクシヤマザクラはヤマザクラの変種。ヤマザクラとの区別は難しい。
田んぼが一面に広がり、遠くに室見川、北九州鉄道の線路が見える。
指定保存樹(西-210)
愛宕音次郎稲荷の駐車場の脇、ロープウェー山上駅跡から下ってきた場所に生えています。
花が枝の先端部にかたまって咲くため、采配の形に似ているということで名前が付けられた。
ヤブニッケイの森コース
ソクズ(蒴藋あるいは曽久豆)はレンプクソウ科ニワトコ属の多年草で、高さが1~1.5mほどになります。別名、クサニワトコ(草接骨木)、ソクドウ(古名)。「ヤブニッケイの森コース」の入り口付近に群生しています。鷲尾愛宕神社境内から真下を見下ろすと広がっています。
ソクズにとまり、蜜を吸うカラスアゲハ。ソクズにはアゲハ類がよく集まってきます。
ソクズの白い花には蜜がありません。蜜は花のすぐ脇にある壺状の黄色い腺体に貯まってます。
コースの最初の急な階段を下りた先にある古い石段です。
古い石段を降りたところにベンチを据えました。ベンチは山中に廃棄されていたものの再利用です。座って、しばし森を眺めましょう。その先は尾根筋に出ます。
稜線の路に出る場所に石柱があり、それには「梁山泊」「太極」という字が彫られています。この石柱が道標なのか何なのか、なぜこの場所に立てられているのか、よく判りません。 「太極」は宇宙万物の根源、「梁山泊」は黄河の氾濫によって形成された大沼沢で、北宋時代に盗賊や朝廷反抗者の巣窟となり、のちの明朝初期の小説「水滸伝」で108人の好漢が立てこもる舞台となった地。転じて、日本では「有志の巣窟」を意味する言葉として用いられた。
尾根筋は’50〜’60年代頃まで通路として普通に利用されていたようです(未確認)。尾根筋の路は木々に挟まれて独特の風情があります。
尾根筋の路は景勝台の近くに出て終わり、右にまがって下り道へ。この下りは、かつて愛宕2〜3丁目の子供たちが愛宕小学校への通学路として通っていた石段でした。
石段を下りたあたりは鬱蒼とした森で、ヤブニッケイが多く生えています。
愛宕山は砂岩 ( 姪浜層 ) でできた山で表土が浅いためか、このムクノキのような大木には樹を支えるために根が扁平状に立上がっている「板根(ばんこん)」が発達することがあります。熱帯地方では大きな板根を持つ樹が普通に見られます。因みに、「盤根」は読み方は同じですが別物で、地表に四方に広がっている根のことを言います。
ムクノキの板根の先に進むと階段があり、下ると室見駅方面に通じる公道に出ます。この階段が「ヤブニッケイの森コース」の終端地点となります。この付近でカジノキが見られます。